節分祭
◎そもそも節分とは
 節(せち)分かれといって季節が変わる節目のことで、立春の前日をさします。本来の節分は、冬から春への変わり目で、自然の姿が変わることを大切な節目としていました。今では外から邪気悪霊が入ってくるのを防ぐよう、庭からくる鬼に大豆を投げつけて追い払うように変わりました。

◎豆まき
 豆まきでは年男(その年のえとの生まれの人:今年12,24,36,48,60,72,84,96,108,120歳になる男性)あるいは一家の主人が「福は内、鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれから1年病気にならないと言われています。また妊婦のいる家庭ではこの豆を安産のお守りにもします。もともと宮中の行事が一般家庭に普及したものとされますが、最近は大きな神社などで芸能人やスポーツ選手などを招いて豆まき大会をやっているケースも多いようです。
 さて、この大豆ですが、硬いですね(^^) 硬いものというのは「木火土金水」の五行では「金」に属します。この大豆は最初煎ることによって火気にあてられ「火剋金」の原理で剋された上に、「鬼は外」といって外にまかれて捨てられたり、「福は内」といってまかれてから人々に食べられたりして、要するに豆はみんな「やっつけられてしまいます」。
 古来疫病や災厄というのも金気に属するものと考えられていました。ですから豆というのは実は鬼をやっつける道具でありながら実は鬼そのものでもあるわけで、豆まきというのは邪気を祓うとともに、「金」の気を剋することで「金剋木」で金気に剋されるはずの「木」の気、つまり春の気を助ける行事、つまり春を呼ぶ行事でもあるのです。

豆まきの「豆」について
 豆まきの豆について、重要なことのひとつは煎り豆を使うということです。万一生豆を使って、拾い忘れたものから芽が出るとよくないことがある、と言われています。
 また近年、「下に落ちた豆を食べるなんてきたない」といって、大豆ではなくピーナッツを使う人たちが増えています。この風習は新潟地方から広まったようです。
 なお、家庭によっては豆だけでなく、チョコレートやキャンディ、またお金を包んだものをまいたりもするようです。

どこに豆をまくの?
 なまの豆をゆっくり時間をかけて炒り、切り火(*)をかけて神棚に供えたら家族揃ってパンパンと柏手(かしわで)をうって拝みましょう。さー豆まきはこれからです!神さん、仏さん、土蔵、井戸、家の表、裏庭にも、「福は内〜」と言いながらまき、お手洗いには「鬼は外〜」と使い分けて、思い切り遠くに追いやりましょう。

その他豆まき文句のバリエーション

 豆まきの時のセリフのバリエーションについても民俗学で研究がおこなわれているようです。
基本的な話として「鬼は外」と「福は内」のどちらを先に言うか、とか、それぞれを何回言うか、というのが地方によって異なっていたようです。ただし最近ではこの付近の風習はどんどん曖昧になってきているようです。
 今そういう習慣が残っているかどうかは分かりませんが、「富は内」というのが加わるところもあったようですし、「大荷(おおに)は内」などというのが入るところもあったようです。また、「鬼の目玉ぶっつぶせ」というのが加わるところ、かけ声?で「ごもっともさま」というのが入るところなども文献上は記録されていますが、今でもこういうのをやっているかどうかは分かりません。

切り火・・・火打石で火花を散らし不浄を払います。

節分に豆といわし・・・そして太巻ずし

炒った豆を自分の年より一粒多く豆を食べるのが節分の習わし
 また、この日には塩いわしを焼き、家中、匂いと煙を一杯にして鬼を追い払います。油がのったいわしには、大根おろしと麦ご飯がぴったりですね。そして、いわしの頭をひいらぎの小枝につるし戸口にぶら下げて魔よけにしましょう。さすがに今では家の中を煙で払うことはなくなりました。そして太巻ずしを1本、切らずにそのままその年の恵方(今年は南南東)の方角に向かって無言でかぶりつくと1年間良いことがあるそうです。話しかけられても「........」なのです。


深泥池(みどろがいけ)の「豆塚」
 むかしむかし洛北の深泥池には「豆塚」という塚があったそうです。平安京の北に、鬼たちが毎晩出没し悪さをして人々を困らせていました。この鬼たちは貴船の谷に住み、地下道を通って深泥池の畔の穴から地上に出て騒いでいたのです。そこで人々は、鬼を退治するために鬼が嫌っている豆を投げ込んだところ、鬼は静かになり出てこなくなりました。それ以来、鬼の出入りする穴に節分の豆を捨てるようになったそうです。これが節分に豆をまき、鬼を追い払うことの始まりとも言われています。文献には、この穴の跡に豆塚があったと記されていますが、それが近くの貴船神社ではないかと言われています。

◎節分の由来と行事
 節分は字のごとく「季節の分かれる時」で、立春・立夏・立秋・立冬など季節の改まる時のこと。現在では立春の前日の節分がとくに重んじられ、新年を迎えて、邪気をはらい幸せを願って、全国各地にさまざまな行事が伝えられています。今日のような形は、平安時代、12月末に宮中で行われていた追儺(ついな)式という悪鬼を追い払う習俗と、庶民の間にあった神様を家に迎えて祭るためにおはらいをする習俗が合わさって、豆をまいて鬼をはらう行事として江戸時代頃に定着したと言われています。

 真言宗では、その年の運命をつかさどる星を供養し、祈願をささげることにより人生に幸福と平和がもたらされるとし、大覚寺では、門跡をはじめ本山の全僧侶により、祈願の大法会が執り行われます。なお、法会ののち参拝者に向けて福豆がまかれます。

◎尼崎市寺町 「大覚寺の節分祭」
日時2月3日 午前10時〜午後8時
場所大覚寺 寺町9
入場料無料






節分の豆知識
◎節分とは
 節分とはもともと二十四節気の季節の分かれ目を意味し、立春、立夏、立秋、立冬の前日も節分にあたりますが、一般には節分といえば立春の前日を言います。
 これは旧暦で立春の頃を立春正月などといい、1年の境目、1年の始まりとする考えに基づくもので、1年の境には新しい年を迎えるにあたり前年の悪鬼や厄神を追い払うために立春の前日には節分祭、節分式と呼ばれる儀式が行われるようになりました。

節分と豆まき
 節分といえば「鬼は外、福は内」といって豆をまく風習があります。
 日本古来の儀式に邪気をはらうために行った豆打ちの儀式があり、これが中国で行われていた追儺式(ついなしき)と融合し現在のような節分の行事になったと伝えられています。
 節分の豆まきには炒った大豆を使い、自分の年齢に一つ加えた数を食べると1年間病気にならないといわれています。

 
節分と追儺式
◎追儺の始まり
 文武天皇の世、慶雲3年(706)に疫病がはやり多くの百姓が死んだため、「土牛」を作って疫気を祓ったという記事が続日本書紀に出ています。これが追儺の行事の始まりであるとされています。
 この土牛を使う儀式は中国の礼記に「土牛を作りて寒気を送る」とあることを参考にしたものと思われますが、陰陽師(おんみょうじ)たちによってやり方が整えられ、平安時代の頃には次のような形に発達していました。

 大寒(12月節)の日に宮中の12の門に12組の土牛童子を立てる。これは童子が牛を引く形の人形であるが、東の陽明門・待賢門には青い土牛童子、南の美福門・朱雀門には赤い土牛童子、西の談天門・藻壁門には白い土牛童子、北の安嘉門・偉鑒門には黒い土牛童子、そして残りの、東の郁芳門・南の皇嘉門・西の殷富門・北の達智門には黄色い土牛童子を立てる。これを立春(1月節)の日の前夜半時に撤去する。
 
 この5色の配置は五行をご存じの方でしたらお分かりの通り、各方角の色を使用したものです。五行の配色は、木=青=東、火=赤=南、土=黄=中央、金=白=西、水=黒=北となります。牛を使っていますが、十二支の丑も五行では土に当たります。また12月というのも十二支でいうと丑の月です。また土牛だけでなく、そこに童子がいるのですが、童子というのは易でいうと艮(山)という卦になります。これは方角としては東北、つまり丑寅の方位。丑月は12月、寅月は1月ですから、この童子というのは12月から1月への時間の切り替わりを表現しているのです。また丑寅の方位というのは、古来より鬼門と呼ばれ、鬼の出入りする方角でした。ですから、この土牛童子というのは、ここに各種の邪気を集めてしまうためのものともいえます。それを捨ててしまえば邪気は祓えることになります。
 また、そもそも「鬼」という字は「おに」と読んでいる訳ですが、「おに」という日本語はもともと「おん」つまり「陰」のことです。目に見えない気、主として邪気のことを「おに」と言ったわけですが、十二支の丑というのも陰陽でいうと陰になります。色々とこの行事には符合があるわけです。ちなみに鬼が牛の角を付け、虎の皮のパンツをはくようになったのは後世のことです。このときも鬼門が丑寅の方角なので、牛と虎に関したものを身につけるようになった次第です。
 平安時代の宮中の追儺の儀式では陰陽師が祭文を読み、黄金の4つ目の怖い面をつけた方相氏が矛と盾を持ち、その矛を地面に打ち鳴らしながら「鬼やらい、鬼やらい」と言って宮中を歩き回ります。そしてその後には殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続くのです。桃や葦にも古来より邪気を祓う力があるとされていました。
 
◎方違えと豆まき 
 平安時代には、節分の日に翌年の恵方にある家に宿を取るという風習が有りましたが、室町時代頃にはこれが簡略化され、家の中の恵方にある部屋に移るというようになりました。
この際、あらかじめ新しく移る部屋の厄払いの意味でその部屋に豆を撒いたと言います。これが現在の豆まきの始まりです。

◎鰯(いわし)の頭と柊(ひいらぎ)
 「鰯(いわし)の頭も信心」などといわれる鰯の頭を焼いて、ヒイラギの枝に刺し、家の入り口に差す風習があります。これも節分の日。これは鰯の頭の悪臭で、邪気が家に入るのを防ぐという意味があります。「邪気」も悪臭は苦手と見えます。

◎節分と巻き寿司 「恵方巻きの丸かぶり」

 節分の夜、その年の恵方に向かって太巻き寿司を切らずに丸ごと食べると、その年は福を巻き込み災難から逃れられるといわれています。太巻き寿司・恵方巻きを包丁で切ると縁が切れる、食べてる間にしゃべると福が逃げると言われています。
 この習慣は関西で始まったもので全国的に行われるようになったのはごく最近のことです。太巻き寿司の丸かぶりは道頓堀で行われた節分のイベントがきっかけで全国に広まったと言われており、海苔屋と寿司屋の販売戦略のような気がします。

珍しい風習
 「九鬼」などのように鬼が名字に入る家では、「鬼は内、福は内」ということがあるそうです。実際にはどうなのでしょうか?。また、このとき全国から閉め出された鬼を迎えてくれる町もあると伝えられています。

 奈良県吉野、蔵王堂の節分会は「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追い払われた鬼を救い、仏門に帰依させる行事だそうです。吉野山はその昔役の小角(役の行者)によって開かれた山岳修験の聖地。役の行者に従って山に入った前鬼・後鬼が山に残って今もその子孫と称する人々が住むとか。このことも関係あるのでしょうか。
 吉野の節分会に関しては、吉野金峰山のHP http://www.naranet.co.jp/kinpusenji/
 
語句解説
【追儺】(つい な)
 古く中国に始まり、わが国には7世紀末、文武天皇の頃に伝来し、宮中の年中行事の一つとして始まる。
もとは大晦日の夜に行われる悪鬼を払い疫病を除くための儀式で、鬼に扮装した者を、内裏の四門をめぐって追いまわすというもの。
のちに社寺・民間でも行われるようになり、近世、節分の行事となる。
「おにやらい」「なやらい」ともいう。

論語の中の「追儺」
 論語、郷党篇には
    「郷人の儺には、朝服してそ階に立つ」
 という一文があります。「儺(おにやらい)」は鬼を追い払うという意味。孔子の生きた2600年前の中国にすでに節分の豆まきのルーツが有ったわけです。
 

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