尼崎・寺町
■所在地 開明町3丁目〜寺町12/阪神「尼崎」南西約250〜600m

 
尼崎市は、兵庫県南東部、大阪市の隣に位置します。人口は、約47万人。 尼崎といえば工業都市としてのイメージが強いのですが、江戸時代、尼崎は阪神間唯一の城下町として栄えていました。現在も、その城下町としての面影を思わせるような建物が、市内中心部である阪神尼崎駅前に点在しています。この中でも代表的な歴史空間、それが寺町です。11か寺が軒を連ね、国指定の重要文化財、7件をはじめ、県、市指定の文化財も多く残されています。
◎尼崎・寺町界隈の風景

尼崎の寺町
◎寺町の散歩
 駅から南へ100メートルほど歩くと、町の案内板が左に見え、正面に本興寺の三重の塔が見えてきます。ここから約1キロメートルの間に、11のお寺院が点在します。
 南西の
「常楽寺」
の門から見た「本興寺」の三重塔。
 そして、常楽寺の角を曲がり右手に見えてるのが
「善通寺」です。善通寺には、首だけしかない、首無し地蔵が祀られています。
 この通りは赤レンガで囲まれています。レンガの通りを抜け、突き当たりを左に曲がると、寺町のメインストリートに出ます。
 この通りには、
 国の指定文化財のある「長遠寺」
 太閣秀吉ゆかりの寺、「広徳寺」
 信長の重臣である佐々成政のお墓のある「法園寺」をはじめ、「専念寺」「如来院」「大覚寺」「甘露寺」といったお寺が軒をつらねます。
 その道を東の方向に向かって歩き突き当たりを右に行くと、
 左手に「本興寺」の門が見えてきます。本興寺の隣には、「全昌寺」があります。
以上が寺町11ヶ寺となります。

◎寺町の11カ寺院
全昌寺 尼崎市開明町3-11 電話06-6411-0258
本興寺 尼崎市開明町3-13 電話06-6411-3217
広徳寺 尼崎市寺町3 電話06-6411-2424
甘露寺 尼崎市寺町6 電話06-6411-3262
法園寺 尼崎市寺町5 電話06-6411-6108
大覚寺 尼崎市寺町9 電話06-6411-2705
長遠寺 尼崎市寺町10 電話06-6411-0573
如来院 尼崎市寺町11 電話06-6411-3794
専念寺 尼崎市寺町12 電話06-6411-8108
善通寺 尼崎市寺町3 電話06-6411-2392
常楽寺 尼崎市寺町1

電話06-6411-9089

◎外部リンク
 
  ◎更新情報
 
尼崎城天守閣『城郭画集成』より) 荻原一青画
「尼崎城天守閣」
(『城郭画集成』より)

◎尼崎城
 1617年(元和3年)今の大津から譜代大名戸田氏鉄(とだうじかね)が5万石の尼崎藩主として入部してきました。入部から3ヵ月後の1617年10月、尼崎に新城を築くよう幕府に命令が伝えられ、京都大阪の守りを固める役割が、三河衆の一人築城の名人戸田氏に託されました。
 城内の総面積約13万平方メートルの広さに、4重の天守閣を持つお城が築かせたのも、外様大名の多い西国や山陽道を守るため大阪の西を固める支城としての重要さが認められたからです。
 新城の建築と共に進められたのが城下町、寺町の整備でした。城を中心に東西に町場が整備され、東は今の大物から、西は貴布禰神社のあたりまでが城下町です。(資料:尼崎市)

◎尼崎藩の設置と尼崎城
 近世に入ると、政治・経済・軍事などあらゆる面で、大坂が幕府の西国支配の最重要拠点となりました。その西に位置する尼崎は、軍事上、大坂の西を守る要(かなめ)の地として、幕府から重視されることになります。
 このため幕府は、大坂の陣ののち、1617年(元和3)に譜代大名の戸田氏鉄(とだうじかね)を尼崎に配置し、新たに四層の天守を持つ本格的な近世城郭を築城させました。築城工事は1618年(元和4)に開始され、数年後に完成したものと思われます。(資料:尼崎市)

◎藩主と藩領
 尼崎城を居城とした尼崎藩の藩主は、初代が戸田氏鉄(とだうじかね)、その跡を継いで1635年(寛永12)から青山氏、1711年(宝永8)以降は松平氏(桜井松平)と、いずれも徳川譜代の大名でした。その領地は、戸田氏・青山氏が5万石、松平氏が4万石で、現尼崎・伊丹市域から現神戸市域の須磨まで海岸地帯一帯に広がっており、尼崎城下町に加えて、高い経済力を有する兵庫津や西宮町が含まれていました。尼崎城を守備する藩にふさわしい、豊かな領地が与えられていたことがわかります。しかしながら、松平氏が藩主であった1769年(明和6)、兵庫津・西宮町を含む灘目の海岸地帯は幕府にとり上げられ、かわりに播磨国赤穂郡・宍粟郡・多可郡に飛地が与えられました。
 一方、現尼崎市域は、江戸時代にはすべて尼崎藩領だったわけではありません。現在の園田地域は幕府領や旗本領などで尼崎藩領はなく、ほかにも藩領にまじって旗本領や大名飛地領などが点在しており、なかには同じ村を2人〜3人の領主が分割して領地とする村もありました。(資料:尼崎市)

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